カレル大学第一医学部から
ドイツの医師へ
言葉の壁を越え、夢を現実にした脳神経外科医・Oginoさん

英語もドイツ語もゼロからのスタート。
それでも「自分の意志で決めた道」を信じ、彼女はチェコへと旅立ちました。
そして今、ドイツの病院で脳神経外科医として挑戦を続けています。
海外で医師として生きるということ――。
今回は、彼女が医師としての道を切り拓くまでのリアル、就職活動での苦労、
そして働き始めてからの日々の様子を伺いました。
彼女が大切にしている信念とは。
profile
脳神経外科医
Oginoさん
カレル大学第一医学部 2024年卒業
東京生まれ横浜育ち。東京の私立高校を卒業後、英語のバックグラウンドも特にない中、「カレル大学第一医学部の一期生として学びたい」とチェコへ飛び立ちました。そして2024年7月、念願の卒業を果たし、2025年1月よりドイツで脳神経外科医としてキャリアをスタート。
Time Schedule
医師としての一日
- 5:30
- 起床
- 7:00
- 回診
- 8:00-9:00
- カンファレンス
- 9:00-15:30
- オペのアシスト、病棟業務
- 17:00-18:00
- 残業(定時の15:30を超えることが多い)
- 22:00
- 就寝(オンコールで深夜まで手術の日もある)
勉強の合間には、毎日欠かさず、映画鑑賞、読書、ドラマ鑑賞など、一人でできることを楽しんでいました。また、最初の3年間は趣味として、社会人向けの合気道クラブに入り、チェコ人の方と一緒に合気道の練習をしていた時期もありました。


合格した瞬間から、
次の挑戦は始まっていた。
「チャンスは、準備した人に訪れる」――
日常の延長線上にある、海外で医師になるための努力。
元々医学部への進学を希望していましたが、高校3年生の受験直前の1月頃に新聞記事でハンガリーとチェコの医学部を知りました。純粋な好奇心や新しい世界を見てみたいという思い、そしてプラハの美しい街並みに惹かれ「カレル大学第一医学部の一期生として学びたい」という思いを強くしました。
6月にチェコでの最後の国家試験を合格したその日から、就職活動を開始しました。書類提出の準備、病院探し、見学などを始め、5年生のときに、実習に行った病院から8月頃に内定をいただきました。その後は、ドイツの医師免許取得に必要な医療ドイツ語試験や書類審査を経て、1月から勤務を開始しました。
喜びよりも先に来たのは、
「不安と責任」だった。
理想の未来は、恐れを超えた先に。
それでも、歩みを止めなかった理由とは。
卒業後は、日本以外の場所で働きたいという希望がありました。ドイツを選んだ理由は、EU内で外国人医師が働くのに「現実的」な選択肢であったこと、そしてチェコの大学の先輩がドイツで働いているという実績があったためです。さらに、厳しい環境に身を置くことが成長につながると信じており、それが結果的に良い医師になるために必要なことだと考えています。
ドイツ語圏の脳神経外科は狭き門であり、就職活動は予想通り厳しいものでした。応募しても、定員がいっぱいで断られることもあり、不安も大きかったです。内定が出た時は、もちろん安心しましたが、それ以上に「本当に自分にやっていけるのか」という恐怖の方が大きかったです。病院で働いた経験もなく、ドイツ語も完璧でない中で、自分が思い描いていた夢ではありましたが、いざ現実となると、プレッシャーや不安でいっぱいでした。
言葉の壁を越えて、
心でつながる医療
不安だったドイツ語の診療も、今では笑顔で話せる時間へ。
「誠実な姿勢」は国境を越えて伝わっていく。
実際に働き始めると、とにかく「毎日全てが大変」に尽きます。新しい知識を学びながら、ドイツ語も集中して聞き取らないといけないので、常に気を張っているため、家に帰ると心身ともにクタクタです。職場は概ね、『仕事はできているから』と、ドイツ語が上手くないことに寛容ですが、たまに呆れられたり、ドイツ語ができないねと面と向かって言われたりすることはあります。それでも「昨日よりも成長した自分でありたい」といつも思っているので、この環境に適応することで能力が伸びていく実感があります。
先生方の中には「オペのアシストが上手いね」「時間が経てば良い脳神経外科医になれる」と期待して励ましてくれる方もいます。また、外国人の先輩研修医の先生が頼もしく仕事をしている姿を見ると、辛くても頑張ろうという気持ちになります。ドイツ人の患者さんとのコミュニケーションも、当初は不安でしたが、毎日回診で話す中で、仲良くなる患者さんや、ご家族の話をしてくださったり、退院する前に私と話したい、と看護師さんに伝えてくれた患者さんなど、言語の壁はあっても、誠意は伝わるものだと嬉しくなりました。